代表者あいさつ
住まいのDr.山田塗装有限会社代表の山田武志と申します。当社は皆様方の大切な財産である建物の維持、補修、再生を請負う会社です。
従いまして建築に関するすべてのプロ集団でなければならないと思い、多種多様な職人とそのプロ集団(資格を持つ)の協力会社との連係プレーで成り立っております。
又、資材や必要な機材等(足場材及び重機類等)は十分に取り揃えて、
安全第一、よりよい仕上がりをモットーに、お客様の納得いく価格で、良い仕事で、安心していただける会社であるべき事を理念に掲げ、職人一同日々努力を重ね、前進し、躍進をして行く所存であります。
メンテナンス工事を計画される方は、是非、安心のできる会社「山田塗装有限会社」にご相談ください。必ず良い絆が生まれます。
東京での職人時代エピソード
昭和34年4月 東京都内で建築塗装業を営む叔父の元へ弟子入り。都内、丸の内を中心に当時の大型建築物件の、塗装工として各現場に配属され従事して参りました。
職人達と共に生まれるアイデア
当時の建築基準法を変えた銀座三愛ビル(ドリームセンター)や、その結果9階以上、初めての16階建てホテルニューオータニ、など、中でも日比谷の三井銀行本館では、塗装工具で初の改良品「金ベラ」を考案。試作完成し、パテントを某、パテメーカーに譲渡。現在、クロス工事の下地処理の道具としてもおおいに役立っています。現在も私のもとに、当時の試作品が多数保存されています。
又、虎ノ門、飯野海運ビル7階(イイノホール)船底型天井の塗装作業中、その設計会社の部長より直接、仕上げの難しい注文を付けられた事で、ウールローラーの試作品を作成、その試作品は、某、刷毛メーカーに2個ほど提供し、その後試作品の相談を受け、現在のウールローラーの原型が出来上がったのです。塗装用道具として、現在上記の2種類の改良品以外、見当たらない。
20代の若さで関東塗装創業
叔父であり親方の「後継者はお前だ」との入れ込みもあり、20代前半の若さで大勢の職人のまとめ役(世話役)となり、現場世話役として長野庁舎、大宮駅ビル駅舎の新築塗装工事を見事完成させ、実家の事情で白河に戻った。昭和44年4月に関東塗装有限会社を設立。若者の勢いもあり、白河市立第一小学校を最初に、福島県南地域や、栃木県北部で活躍。福島県内塗装工事施工高4位にランクインされたこともあった。
その時期、吹付タイル壁画を開発し話題となった。(テーマ・躍進)
山田塗装有限会社に社名変更後の軌跡
現在は山田塗装有限会社に社名変更し、施工高よりも仕事を通してお客様との絆を大切に思える様になり、「D・S・P・ YAMADA」とサブタイトルも付けました。
現在、建築塗装工事と除染工事の2本柱ですが、今後は塗装とメンテナンス工事のサービスを主な事業として展開するため、(足場工事の)とび土工の知事許可を追加取得しています。
又、私は昭和52年、長男は平成19年、次男は平成18年にそれぞれ国家資格の建築塗装1級技能士を取得し、その他塗装に必要な資格はほぼ取得しており、万全の体制でお客様をお待ちしています。
建物の維持、補修・管理については是非、山田塗装へご相談ください。塗装工・見習い工も随時募集しています。